予備校講師をどうして続けられなくなったか

学生選別システムに効率的に合致するような生徒を育てること

私は予備校講師という職業を選びながらも退職しました | 学生選別システムに効率的に合致するような生徒を育てること | 予備校講師の職業を選んだことを後悔してしまった

しかし予備校の講師に求められているのは、こうした学生選別システムに効率的に合致するような生徒を育てることです。
したがって学問に関わる喜びなど、あろうはずはありません。
もともとアカデミズムとは無縁な職業だということはできますが、それにしても知性というものをあまりにもバカにした職業であると考えるようになり、苦痛になってしまいました。
また生徒自身にも問題があります。
そもそもどうして大学に行きたいのか、という動機が明瞭ではありません。
いや、そう書いてしまったら不正確で、実際には高校を卒業してすぐに働くのは何となく嫌だという甘えた考えを持っているに過ぎません。
それは普段喋っている言葉を聞けばわかるし、あまりにも日本語の使い方が乱れており、その結果として論理的な思考ができない生徒が非常に多い。
マトモに一冊の本を読んだこともない、という生徒も圧倒的多数の割合で存在します。
ある種の大学では一般教養の英語の授業で中学2年生レベルの授業をしないと学生が理解できない、というレベルにあります。
そうした大学での専門課程のレベルなど、推して知るべしというものではないでしょうか。
どこにその原因があるのでしょうか。
これは教育行政が、「記憶力」というごく一部の能力しか評価しない、評価できないというシステムを抱えてしまったがために起きた問題です。
人の能力は多様なので、記憶力の他にも評価すべき能力は様々なはずでしょう。
人ひとりひとりにかけがえのない能力が備わっているのに、残念ながら評価されるのは記憶力だけなのです。
アドベンチャーやパニックを扱った映画などでは、いくつかのグループが描写されます。
まずエリート集団。